哲学と認識革命 / VUCA時代を生き抜く知恵

認識技術・nTechを活用した「本質的な生き方」について語っています

日本人が自信が持てない原因Part.1 〜8月15日の終戦記念日を迎えて〜

こんにちは!

楽に生きるコンサルタントの"りょーま"です。

 

AI時代に"自分の無意識から自由なって主体的に生きる自分"なることで

「自分のパターンにハマらない新しいパートナーシップ」「自分のパターンにハマらない新しいライフスタイル」を送ることができます。

 

 

皆さんは8月15日の終戦記念日について何を思いますか?

現代において、多くの人が戦争を体験したことがない世代になってしまっています。

 

 

僕が学校で学んだ日本の歴史では

・日本は第二次世界大戦で多くの国々に迷惑をかけた

・罪もないアジアの国々を侵略して植民地にした

・広島と長崎に原爆を落とされて戦争が終わった

・戦後、憲法を改正して軍隊を持たず、戦争をしない国になった

ザックリと学校の歴史ではこのようなことを学ばされます。

 

 

その結果、

・日本に誇りを持てずに自国のアイデンティティも確立できない

・「前へ習え」と言った集団同調主義、上の言う通りに従うだけ

・周りに合わせるばかりで、自らの意思で主体的に考えて行動することが苦手

・何をやるにも先ず周りの目を気にしてしまう

と言った日本人がたくさん生まれました。

 

 

これらは全て戦後の教育からです。

では戦前の日本はどんな日本だったのでしょうか?

 

戦前の日本を観たときに一番の歴史的な出来事は明治維新ですよね。

これは世界史的に観てもとても意味のある出来事でした。

 

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アジアの中で唯一、自らの意志で近代化に成功した日本

それまで侍中心の文化だった日本が、自らの意志で、その文化を捨てて西洋の文化を取り入れて近代化に成功したのです。

 

 

何より日本という国が明治から誕生しました。

それまでの日本は藩という小国の集まりでした。

日本が今の国家という体をなしたのは明治からです。北海道も明治以前は日本の領土としては認知されていませんでした。

 

そして、明治になって初めて、基本的人権が社会制度として充実し、かつそれに伴って法制度、議会制度が整えられて民主主義国家として日本が生まれたのでした。

 

 

当たり前に歴史で学ぶ明治維新も、客観的に世界から観ると、かなり意義ある出来事と言えます。

 

 

今日も読んでくださりありがとうございました。

次回は更に踏み込んで明治時代の日本人について話してみたいと思います。

あなたは自分自身の認識のクセをきちんと把握していますか?

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

 

あなたは自分の認識のクセ、しっかり把握していますか?

 

 

自分は〇〇のパターンがある。

〇〇の状況になると萎縮してしまう。

〇〇の場面では俄然、自身が湧いてやる気になる。

〇〇な人は腹がたつ。

〇〇な上司は嫌いだ。

付き合うなら〇〇のような人が理想だ。

などなど。

 

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それらがなぜ引き起こされるのか?

それも無意識に、その状況になるとオートで反応してしまう。

 

 

 

幼い頃からずっとずっと・・・

 

 

 

誰でも自分の思う通りに自由に生きていきたいと思うのに

それに反して自分の無意識はオートで条件状況が整うと反応してしまう。

 

 

もし、この無意識で発動する自分のクセ、パターンの原因がわかり、それを制御し、新たに違うパターンを自分の意思で構築できるとしたら?

 

想像してみてください。

どうですか?

 

 

今まで、この無意識に自分が反応してしまうパターンに対しては、

「自分ってこういう人間だからしょうがない」と甘んじて受け入れることが多かったのではないでしょうか?

 

 

自分の幼少期にセッティングしてしまったパターンは

その状況を正確に思い出して納得しながらそれを解いていくことが大切です。

nTechではそれをセッションという形で紐解いていきます。

 

 

誰でもその人固有のパターンがありますが

それが幼少期の未熟な判断基準でつくってしまったものであること。

そこに縛られ続けて、それによって上手くいかないことがある。

 

 

自分自身の取り扱い説明書をわかって、そのつくられてしまったパターンから自由になること。そこから新しい自分の人生がはじまります。

 

 

もしnTechのセッションに興味がある方はいつでもご連絡ください。

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

nTechと出会うまでPart.6〜会社を辞めて45日の研修へ〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は"なぜ僕は会社を辞めたのか?"について書きました。

samurai-japan.hatenablog.com

 

今までの自分の選択基準が

自分の本心よりも周りに合わせることであり、本当に自分と繋がった生き方をしていなかった自分。それをリセットするための決断でした。

 

 

それにしても45日間の研修ってどんなことをやるんでしょう?

ドキドキ・・・

 

 

研修の場所は韓国の清道(チョンド)というところ。

日本全国、日本以外から約120名の参加者が集まっていました。

 

そこで学んだことは、ざっくり挙げると

・人間とは何なのか?

・生きることとは何か?

・本来の人間の持っている機能とは?

・悟り=差取りとは?

・人間の脳の認識の範囲について、その範囲の外、限界の外について

・人間それぞれの認識の出発点(観点)の違いを知る

・認識の出発点(観点)をゼロ化することの意味価値

・時間とは何か?

・エネルギーとは何か?

・物理学(ひも理論や量子力学など)の理解

・AIを超えるGIとは何か?

・今までの人類の歴史についての学び

・ユニバーサルリーダーシップについて

・生まれてきた意味とミッションについて

 

かなり本質的な話ばかりで普段、僕が考えていることと、視点が明らかに違っていましたが、それら本質的な問いと答えが今までの自分の人生とはっきりと繋がって、認識がバージョンアップしていくのです。

 

認識が変われば世界が変わる

 

これはnTechのキャッチコピーですがこれが本当に自分と繋がって体感できました。

僕が今まで自由になりたい、自分の思い通りに生きたいと思っていろいろと頑張ってきたことが、方向性、考え方、そもそもの認識(捉えている範囲)が間違っていたんだということがショックとともに腑に落ちて、それがわかってしまった時は涙が止まりませんでした。

 

今までの自由の概念が違っていた

自分の自由の概念が

この脳みその範囲の中、

自分の知っている世界、

存在(有)の世界の中の自由であったこと

 

「自分が見ている世界」が重要ではなく「自分が観ること」が重要だということ。

これって意味がわかりますか??

 

 

これが本当に心から腑に落ちた時、とても嬉しかったんです。

nTechが言っている「自分と自分の宇宙はない!ひとつの動きだけがある、以上。」この意味は複雑化したこの情報社会で明確な指針を示しています。

 

 

僕らの見ている世界はそれぞれの脳が作り出したバーチャルな世界

そこに真実はひとつもない。しかし絶対に有ると思い込んでしまっているのが僕らの脳でもあります。それを論理とイメージで誰もが明確にわかってしまう。これがわかればすべてがゲーム感覚でこの現実を過去の思い込みにはまらずに、思い通りに再設計ができます。

 

 

いわゆる、ゲームチェンジ!というやつです。

nTechの研修の面白さはここにあります。

今までゲームの中にハマっていることもわからなかったプレイヤーがゲーム画面の外に出てしまってゲームの仕組みを理解し、自分でゲームを再設計し、今度は自分が創ったゲームの中で思い切り楽しめる!これはかなりワクワクなことです。

 

 

今まで訳が分からなかった世界の仕組みが分かってしまう。

理由が分からなかった不安や恐怖がなくなる感覚。

 

 

存在、有る世界しかキャッチできないこの人間の脳

見えている世界が結果であれば、その結果が生まれる前の(人間の目では)見えていない無の世界が原因です。この原因を観れる認識を獲得しない限り、この複雑化した現象世界(結果)だけに反応し続けなければなりません。これはかなり苦しいことです。

 

全体が観れずに、結果という部分だけを見て判断してるだけなんだから・・・

 

 

僕は小さい頃からずっと思っていたことがあります。

何で人は自分の考えで他人をジャッジしたり、自分を否定したり、不安にしたり、苦しくしたりするんだろうと。この勝手に出てくる考えを止めることはできないんだろうかと。。

 

ピカソも言っていた

僕の尊敬するピカソという画家は、ジャッジして真実が観れなくさせている原因は、自分自身の脳みそだ。できることならこの頭から脳みそを取り出して外にぶん投げてしまいたいと言っていたそうです。

 

この話、とても共感します!

脳を克服しない限り、僕らはずっと考えに支配し続けて、エゴにも支配される。

脳波をβ波からθ波状態、起きていても常に今ここ超集中の瞑想状態にセッティングする必要があるということ。

 

45日間は、今までの僕らがやってきた5感覚を基準にした認識をリセットして

ひたすら、今ここ超集中の瞑想状態で、メタ認知・統観能力である認識技術・nTechをマスターし、習慣化する期間でした。

 

 

今まで地球上で悟ったと言われるイエスや釈迦、老子はこの「自分と自分の宇宙はない」という認識感覚を得ていたと言われています。nTechを日常、当たり前に使えるようになると自分と自分の境界線をゼロ化できるので関係性の作り方の達人になれますし、何よりチームプレーの達人になることができます。

 

 

本当の自由とは

今までの自分自身、自分の脳から自由になって全くのゼロベースから生きられるということ。考えや感情に一切縛られずにいつも頭の中がスッキリしている状態。

そんな自由自在に生きるゲーム感覚を持って、誰でもどんな人とでもコラボができる超自由自在人を僕はもっともっと広げていきたいと思っていつも活動しています。

 

 

これで僕がnTechと出会うまでの自己紹介的な話は完結です。

もしこのブログを読んでnTechに興味を持たれたり、僕と話をしてみたいと思った方は

私の方へいつでもメッセージをください。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

nTechと出会うまでPart.5〜なぜ僕は会社を辞めたのか?〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は"会社員を辞める決断"について書きました。

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友人から、よく会社辞めたね、とか

なんで辞めたの?とか聞かれます。

 

一般的に見たら

大手企業の広告制作に携われて、クリエイティブな仕事でやり甲斐もあるし、周りから見たら辞める理由が見つからないのかも知れません。

 

 

見えている表面的な部分だけでは物事は判断できません。

見えていない内面的なところ、その人が何を考え、何を基準に生きているか。

その人の出発点。nTechでは"観点"と言っています。

そこに出会わなければ本当にその人とは出会えません。

 

 

僕は映像やクリエイティブは単なる表現手段でしかなかったと思います。

一番やりたいことは人の変化に携わるということ。

人が変化することで社会が変化し、共同体のバージョンアップが起きること。ここでいう共同体は会社であったり、家族であったり、街や社会、大きく見たら国や地球のことです。

働いていた会社でやれることはやったし、ここから更に変化をつくっていくことは自分自身が今よりも次元の違う変化を起こさなければ、小さい変化に満足して、そこで留まってしまう危機感を感じたからです。

 

 

今でこそ働き方改革や副業2.0と言われていますが、当時は安定を求める風潮がまだあったので会社を辞めてフリーランスになることの恐怖は少しありました。

 

大きな決断であることは間違いありませんが

しかしそこには不安よりも、希望とワクワクの方があったのです。

 

今は個人事業主として4年目ですが、AI時代に変わってから

逆に会社員でずっといることの方がリスクである時代になってきました。

 

 

今のうちに会社というコミュニティに依存しない、

自分で顧客を見つけ、関係性をつくれる(コミュニティを作れる)自分にならないと、いざAIによって仕事がなくなった時に対応ができないという事態になってしまいます。

 

これは今の時代を生きている全ての人が、本気で考えていくべきことだと思います。

今は関係性の時代なのです。

 

 

nTechの開発者のNohさんがよく言います。

時代を観ることが本当に大切。

時代を観れる洞察力と判断力を養うこと。

 

 

多くの人が目の前のことで精一杯です。

目先のことをこなすことに一杯になり、いつの間にか時代に取り残されている。

そんなことにならないようにメタ認知能力を鍛えましょう。

 

話を元に戻します。

 

時代の流れを考えて、今、会社員でやり続けるには非常にリスクを感じた僕は大きな決断をしました。AI時代に対応する人間力を養うために、自らの認識能力、洞察力や判断力すべてをバージョンアップするために、nTechの45日研修を受けようと決めました。

 

次回はその45日研修についてお話します。

nTechと出会うまでPart.4〜会社員を辞める決断〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は"大学時代から社会人へ"について書きました。

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前回の続きです。

忘れもしない2010年1月、たまたま行った新大久保の路上でnTechのイベントフライヤーをもらいました。そのフライヤーには「日本から世界を変える革命を!JAPAN MISSION PLOJECT」と書かれていました。

 

 

そのキャッチコピーに惹かれた僕は歩いた道を引き返して

フライヤーを配っていた女性に詳細を尋ねました。

 それがきっかけで初めてnTechのイベントに参加します。

 

 

当時、九段下の大きな会場で1000人くらいは参加していたと思います。

その中で、nTechの創始者で韓国人のNoh Jesu氏が日本の可能性、日本文化の素晴らしさを日本人より熱く語る姿に感動しました。正直、nTechの説明はちんぷんかんぷんでさっぱり分かりませんでしたが熱さとエネルギーだけは伝わりました。

 

Nohさんのコメントで「人間は自由がなんなのかがわからない。一度も自由になったことがない。本当の自由とは体の自分から自由になり、心そのもの、大自由の状態になることだ。」と言っていたのが印象的でした。

 

 

 

大自由ってなんだろう??

大自由・・・初めて聞く言葉でした。

 

 

そのイベント後にnTechの4日間の宿泊セミナーに参加しました。

 

 

しかし、当時、僕は仏教や禅に詳しいわけでもなく、物理学や量子力学の世界にも疎かったためにあまり内容も受け取れずにしばらくnTechから離れることになります。。

 

nTechってかなり本質的な内容なんです。

だから面白いんだけど、ある程度知識も必要で奥が深い。

でも森羅万象に当てはまる法則だから、知ってしまったら何にでも応用ができる。

 

 

 

まあ、でもその時の僕の知識では難しすぎて、

代わりにNLPコーチングなどを学ぶようになりました(笑)

 

 

そして、2年後

久しぶりにnTechのセミナーに参加する機会がありました。

相変わらずNohさんは熱かったのですが、Q&Aの時にNohさんの話した内容にまたも衝撃を受けてしまいました。

Nohさんはその時、「皆さんは一度も決断したことがありません。決断したと思っても諦めたり、決断したことを変えたりするでしょう?本当の揺るがない決断というものは、不動心・不動志そのものにならなければできません。」と言っていました。

 

 

NLPコーチングを学んでも肝心なところで諦めたり、決めた目標を変えることが多かった僕はNohさんのその言葉にハッと思いました。

 

本当の揺るがない決断。

決めたことをやりきる能力はどうやったら得られるのだろう?と。

 

 

そして、僕は会社を辞める決断をします。

nTechの45日の宿泊研修を受けるために・・・。

 

Part.5に続きます。

nTechと出会うまでPart.3〜大学時代から社会人へ〜

こんにちは!

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提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は大学時代について書きました。

samurai-japan.hatenablog.com

 

前回の続きです。

 

僕は絵を描くのが好きで芸大に入学しました。

人付き合いが苦手だった僕にとっては絵を描く行為はコミュニケーションの手段、アウトプットの手段でした。何の制約もなく、自由に表現できることがこんなにも素晴らしいことなのか。人とのコミュニケーションもこんなに自由だったら良いのに(笑)

 

でも実際に大学ではそのようにはいかなかったんですね。

 

日本画の世界は良くも悪くも師匠と弟子の師弟関係の絆が強く

師匠の所属している画壇グループに同じように所属するのが出世の早道と言われています。同期の多くの友人も教授の言う通りの絵を描いて、言う通りに展覧会に出品していました。正直、みんな似たような絵を描くわけですね。それが疑問で、自由に表現したくて芸大に入ったのに実際は自由には描けなかったのです。

 

答えを見い出すために大学院まで進み、絵についてもう一度向き合い直そうと思いましたが、結局、大学にいては自由は無いと判断し、教授の所属する画壇には入らずに一人で絵を描くことにします。

 

しかし、日本社会では絵を描いて生活していくことがなかなか難しい。

今まで好きで描いてきた絵が、社会に出たら認められずにやりがいを見出すことが出来なくて、悶々とした日々を過ごすことになります。

 

自分の天職は何だろう?

自分は一体、何のために生きているんだろう?

答えの出ない問いをひたすらグルグル考えていました。

 

そんな時にたまたま、友人から映像制作の仕事の紹介がありやってみることに。

4浪して大学院まで行っていたので新卒で27歳という年齢(笑)

何せ日本画という畑違いのアナログ人間だったので映像については全くの素人。

直属の上司は中国人の劉さん。劉さんや、映像系専門学校を卒業したばかりの自分より遥かに若い子達から映像制作業務を手取り足取り教えてもらいました。

その時は新しいことを学べることに日々ワクワク楽しみながら仕事をしていました。

 

その後、転職したりで映像の仕事をトータルで10年近くやりました。

映像はその時の流行り廃りがあります。そのほとんどが欧米のトレンドを日本へ持って来たものです。欧米のコピーが本当のクリエイティブなんだろうか?

もっと日本の良さ、日本独自の良さがあるし、それを活かすことができないだろうかと思います。

 

自分は一体、何のために生きているんだろう?

 

 

そして、サラリーマンの多くが自分の本当にやりたいことをしているわけではない。多くの人が生活のために働いている。お金のために、生活のために生きることよりも、もっと自分らしく思い切り生きてみたい。

 

そう言いながら、自分もお金を稼ぐために働いている。

やるせない気持ちをどこでぶつけられるわけでもなく社会に操られるように生きている自分。

 

自分は一体、何のために生きているんだろう?

ずっとずっと探し求めていました。

本当に自分の魂を燃やせるところ。

これだと!言えるものに出会うことを。

思い切り、情熱を傾けられるものを。

 

 

そんな中、ある時、たまたま行った新大久保の路上でnTechのイベントのフライヤーをもらいました。それを読みながら歩いていたんですが、そこには「日本から革命を!JAPAN MISSION PROJECT」と書かれていました。その「日本から革命を!」のフレーズに興味を持ち、道を引き返して、配っていた女性にイベントの内容を詳しく聴きたいと伝えました。

 

それがnTechとの初めての出会いでした。

忘れもしない、2010年の1月のことでした。

 

 Part.4に続く

nTechと出会うまでPart.2〜大学時代〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は幼少期から高校生までの僕の人生について書きました。

samurai-japan.hatenablog.com

 

多感な時期に人付き合いを拒絶してきた僕は

コミュニケーションが苦手、人付き合いが面倒臭い、極力一人で居たいと常に思うようになっていました。その背景としては、何か自分が話せば攻撃されるとか、否定されるとか無意識にその思い込みが生まれてしまって、人と話すことをストップさせてしまうわけです。

 

なので極力、周りに合わせる、本当は心の中では全然違っていても、愛想笑いをして無難にやり過ごす。そんな得意技を使っていました。

 

 

そんな中でも、絵を描くことが唯一の楽しみだったので、得意な絵で将来は食べて行こうと漠然と思い、美術予備校に通いながら芸大受験を目指すわけです。

しかし、美大受験は狭き門、予備校に通わないととても現役合格は難しい。

親にお願いして、田舎から都内の美術予備校の冬季講習に通うことになったのですが、田舎で絵が上手だった自分も都会の学生の技術の高さに愕然とするわけです。

田舎の美術部でセコセコ描いていた自分にはレベルの差が歴然で挫折感を味わいました。まさに井の中の蛙状態(笑)

 

結局、現役合格はできずに浪人することになります。

そして、1浪目でさらに試練がやって来ます。

 

 

ある時、朝ご飯を食べていたら右顔面に激痛が走ったのです。

初めは何が起こったのかわからず、気をつけながら食べていましたが、日を追うごとに痛みの頻度が増してきて食べることもできなくなりました。

病院を転々としましたが原因がわからずにいましたが、日大大学病院で脳のMRIを撮影した時に小脳に腫瘍が見つかり、それが原因の三叉神経痛という症状が起きていることがわかりました。

 

この三叉神経痛ですが痛みの質としては、

表現が難しいのですが、刃物で焼き斬られるような、激痛と熱さでのたうち回る感じなのです。人生でこれほどの痛みに出会ったことはなかったので、当時は相当に辛くて、絵を描くどころではありませんでした。

そのうち、風が顔に触れたり、光を見ただけで発作が始まるようになり、痛み止めを飲みながら、昼間なのに部屋を真っ暗にして籠る日々が続きました。

病院の先生からも手術を勧められましたが、その時の医療技術では、頭蓋骨を輪切りにして開頭手術という大掛かりなもので成功率は60%くらい、失敗したら右耳が聴こえなくなるというものでした。

 

 

結局、手術を一旦決断したのですが、手術当日にやはり断り、実家の新潟に戻って療養することにしました。

そんなこんなで1浪目は受験どころではなく、最悪の年でした。

予備校の仲の良かった友達はみんな志望校に合格したと連絡が来て、なんで自分だけがこんな目に会うんだろうと天を呪いました。

あの時は人生で一番辛かったと思います(涙)

 

 

実家では長岡式酵素玄米や無農薬の野菜や自然食による食事療法をしながら絵を描いていましたが田舎で独学でやるのも限界があり、3浪目の受験もダメでした。こうなったら受かるまで意地ですよね。とにかく受かるまでやってやるとその時は思っていました。

本当、この時は両親に心配と迷惑をたくさんかけました。。

両親には今でも頭が上がりません。

結局、4浪もしてなんとか愛知の芸大に入ることになりました。

 

 

なんとか、大学に入学してホッとしたのも束の間、大学へ入ってもいろいろ葛藤はあったのです。

 

Part.3に続きます。