本質のまなざし -ココロをえがきセカイをひらく-

日々感じたことを綴っています

人と人が対等に出会える場所を探し続けてきた

 
開アカデメイア主催
2泊3日の高野山×大和算リトリートに
参加してきました。
 

正直、まだ頭の中は整理しきれていません。
でも今回の学びは、単に新しい知識を得たというより、自分が人生を通して抱えてきた違和感の正体に触れたような体験でした。
僕は新潟県三条市で生まれ育ちました。
職人文化の町です。
親方と弟子のヒエラルキー。
そして学校へ行けばガキ大将を中心としたヒエラルキーがあり、美大へ進めば画壇の派閥があり、社会へ出れば会社や組織の権力構造がありました。
僕は子どもの頃から、そうした上下関係にどうしても馴染めませんでした。
だからといって、能力の差や経験の差を否定したいわけではありません。
ただ、ずっと疑問だったのです。
なぜ能力の差を、人間の価値の差に変えてしまうのだろう
なぜ人は優劣をつくり、上下をつくり、排除を繰り返してしまうのだろう。
排除されたくない。
認められたい。
必要とされたい。
だから人は特別な存在になろうと努力する。
僕もまた、その一人でした。
 


今回学んだ光吉俊二先生の大和算は、そんな自分の問いに新しい視点を与えてくれました。
 
大和算には「切り算」「重ね算」「合わせ算」という考え方があります。
私たちは普段、物事を切り分けて理解します。
それはとても大切なことです。
しかし一方で、切り分けることだけを続けると、
正しいか間違いか。
勝ちか負けか。
敵か味方か。
という対立の世界にもつながっていきます。
大和算は、その先にある世界を見せてくれました。
異なるものを重ねること。
違いを活かしながら合わせること。
完全に交わる90度の関係である「直交」という概念。
そして白か黒かではない、その間にある無数のグラデーションを見ること。
それは僕にとって、
「ヒエラルキーのない世界」
というより、

「尊厳が対等な世界」

の可能性を感じさせるものでした。
 


振り返れば、僕は権威を避けて生きてきたのだと思っていました。

でも本当は、権威から逃げていたのではなく、
人と人が対等に出会える場所を探し続けてきた
そんな人生だったのかもしれません。
まだ理解できていないこともたくさんあります。
それでも、高野山という場所で空海の精神に触れながら、この学びに出会えたことに深く感謝しています。
これから時間をかけて、自分なりに深めていきたいと思います。

【インド仏教研修③サーンチーの仏教建築物群】

インド仏教史の“核心”とも言える遺跡サーンチー。

紀元前3世紀から12世紀まで、約1500年続いた聖地です。

 

第1ストゥーパ

トーラナ(東門)

 

見どころの一つは第1ストゥーパ。

巨大な半球状のこの建築は仏塔(ストゥーパ)と呼ばれ、

仏舎利(仏や高僧の遺骨)を祀る供養塔です。

 

第1ストゥーパの東西南北には

トーラナと呼ばれる門が立っています。

日本の鳥居の原型とも言われるこの門には、

 

・ジャータカ(お釈迦様の前世物語)

・仏伝(ブッダの生涯)

 

がびっしりと彫られています。

 

紀元前1世紀頃に作られた石彫が

2000年以上経った今も残っていることに、ただ驚くばかりです。

 

 

さらに第3ストゥーパには、

お釈迦様の十大弟子である

シャーリープトラとモッガラーナの遺骨が納められていたことが

発掘調査で確認されています。

第3ストゥーパ

サーンチーが世界遺産として有名なのは、

仏教美術の原点を今に伝える場所だからです。

 

原始仏教では偶像崇拝がなく、

仏陀は人の姿では表現されませんでした。

 

代わりに

 

・空の玉座

・菩提樹

・足跡

・法輪

 

といった象徴で表現されます。

これは

「悟りは形にできない」

という思想から来ています。

 

釈迦が亡くなった直後の仏教では

 

・悟り=究極の真理

・真理=言葉にも形にもできない

・人の姿にすると誤解を生む

 

と考えられていました。

 

つまり初期仏教は、とても哲学的だったのです。

 

しかし仏教が広がるにつれ、

一般の人々も信仰する宗教へと変化していきます。

 

抽象より具体へ。

哲学から信仰へ。

 

ガンダーラやアジャンタ、エローラのように

仏像が生まれていく流れはここにつながっています。

 

サーンチーは、

仏教がまだ“哲学だった時代”を感じられる特別な場所。


丘の上は風が心地よく、

瞑想には最高の環境でした。

 

参加者の皆さんも思い思いの場所で

瞑想や祈りの時間を過ごしていました。

 

仏教に興味がある方は、ぜひ一度訪れてみてください。

 

#インド

#ボパール

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#原始仏教

#ストゥーパ

#トーラナ

 

インド仏教研修②エローラ石窟寺院群

アウランガーバードから約30kmの場所に、
壮大なエローラ石窟寺院群があります。
全部で34の石窟。
そこには仏教・ヒンドゥー教ジャイナ教という
三つの宗教遺跡が共存しています。
一つの岩山の中に、異なる信仰が並び立つ。
世界的にも極めて珍しい遺跡です。
そもそも石窟建築の始まりは仏教からだそう。
エローラの仏教石窟は最も古く、
5世紀から7世紀にかけて造られました。
その後、7世紀頃からヒンドゥー教石窟が
造られるようになり
その中でも圧倒的な存在感を放つのが
第16窟・カイラーシャ寺院。
 

第16窟 カイラーシャ寺院
幅45m、奥行80m、高さ30m超。
上から岩を削り出して造られた「世界最大級の一枚岩建築」。
100年以上の歳月をかけ、
代々の石工たちが技を継承しながら完成させました。
その精巧さと規模は、
人間の意志と祈りの結晶そのものです。
長い年月をかけ、多くの人の手によって積み重ねられた
「技」と「信仰」の重なりを、体で感じることができます。
 


この石窟を掘った石工たちの多くは
僧侶ではありませんでした。
しかし、ただの技術者でもなかった。
彼らは信仰を共有する職人集団だったそう。
仕事でありながら、祈りでもあった。
真理を広める説法僧がいて、
教えを記録する僧もいた。
当時は写真も動画もありません。
ヤシの葉に書き残し、壁画に描き、石碑に刻み、
そして岩を削り、物語を彫刻として残しました。
石工たちは
給料のため、家族のため、
そして来世のために、
ひたすら岩を掘り続けました。
完成を見られなかった者もいたはずです。
それでも、掘り続けた。
今回、僕が最新のカメラを手に
この場所を記録しているとき、
当時の彫刻師や石工、
記録を残した僧たちの姿が
どこかで重なりました。
道具は変わった。
時代も変わった。
けれど
人が祈り、残し、伝えようとする営みは
現代でも変わっていないのかもしれませんね。

【インド仏教研修①アジャンタ石窟寺院群】

こんにちは!
リョーマです。
2/7〜2/14までインドへ仏教研修の撮影で同行してきました。
その時の体験を綴っていきます。

【インド仏教哲学研修①アジャンタ石窟寺院群】
岩山の崖に沿って、無数の洞窟が並ぶ。
これがアジャンタ石窟寺院群。
インドのマハーラーシュトラ州北部にある
玄武岩の岩層を掘り抜いて築かれた全長550m、
大小30の石窟で構成される寺院群です。
 

 
開窟年代は大きく、前期と後期に分けられます。
前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀、
後期は5世紀後半から6世紀頃。
そして驚くのは、前期と後期の間に
約400年もの空白期間があること。
一度この地は忘れ去られ、
森に埋もれていたと考えられています。
前期は僧侶中心の「修行の場」として使われていたので
仏像のないシンプルな建築が特徴。
 

第10窟 アジャンタで一番最初に造られた石窟
しかし5世紀、ヴァーカータカ朝の時代になると
状況が大きく変わります。
後期は王や貴族がスポンサーに入ることで、
「信仰の宗教」に変わりました。
それに伴い石窟は一気に豪華になり、
仏像や装飾で満たされた壮大な空間へと
変化していきます。
特に第26窟の壮麗さは圧巻です。
 

第26窟 アジャンタの中で最も新しい石窟

いつの時代も、文化や歴史の背後には
スポンサーの存在があります。
権力や資金の力によって文化は形づくられていく。
アジャンタもまさにその象徴であり、
ヴァーカータカ王朝の滅亡とともに
国家プロジェクトは突然停止。
未完成の石窟が残されたままとなりました。
昨年に引き続き2回目の訪問でしたが
今回は違う視点でじっくり見れました。
とにかく驚かされるのは建築技術の精巧さ。
シンメトリーに正確に配置された柱、
一直線に真っ直ぐ掘り抜かれた空間。
当時の測量技術がどれだけ精度が高かったのか。
 

第7窟 釈迦如来

第1窟 蓮華手菩薩(パドマパーニ)
しかも作業は、油ランプの灯りだけを頼りに、
暗がりの岩の中で何十年も続けられたわけです。
私たちは「古代=原始的」と思いがちですが、
もしかすると実際は逆なのかもしれません。
そして改めて感じたのは、
当時の人々の“時間感覚”の違いでした。
彼らは輪廻転生を確実に信じていた。
だからこそ未来の功徳として、
例え名前が残らなくても
完成を見ることができなくても
掘り続けることができたのだと思います。
“想いの強さ”が、ここまでの仕事を生む。
それを今回、改めて感じた訪問でした。
 

第15窟 釈迦如来

第2窟 釈迦如来像、天井にはダルマチャクラ

第19窟の入口装飾


#インド
#仏教 #仏教美術 #世界遺跡 #アジャンタ石窟遺跡

初夢は就職する夢でした

2026年 明けましておめでとう御座います㊗️🌅🎍
初夢なんて毎年見ないのに…
 今年はとてもハッキリした夢を見ました!8人の同期と共にまさかの就職する夢でした😆
夢占いしてもらったら↓
【新しい仕事に就く夢】
もっともスタンダードな「就職」の夢は、あなたのやる気が高まっているサインです。
現実でも新しいことに挑戦する準備が整っています。運気は上昇傾向にあり、これまで準備してきたことが形になる吉夢です。
【「8人」という数字の持つ意味】
数秘術や漢字の成り立ちにおいて「八」は末広がりを意味し、非常に縁起の良い数字です。
• 調和と競争: 8人の同期がいるということは、孤独ではなく「切磋琢磨できる仲間」や「良きライバル」に恵まれることを示唆しています。
• 組織への適応: 1対1ではなく集団の中の1人として採用されるのは、あなたの能力が組織の中で正当に評価され、周囲と調和しながら大きな力を発揮できる予兆です。
なんとも幸先が良さそう☺️
みなさんの初夢は何でしたか?
本年もどうぞよろしくお願いいたします

AI時代に“チェキ”が流行るわけ

デジタル全盛の時代に

チェキって未だに売っているんだって思っていたら

なんと2023年は過去最高の売り上げだったそうです。。

 

びっくり!!

 

なんでそんなに売れてるのかと思ったけど

そこにはこの時代だからこそチェキが流行る理由が

ありました。

 

 

今の時代は、様々なデジタルツールの進化で

効率が求められる時代です。

 

 

だからこそ、ちょっと立ち止まって

自分の内面を見つめ直すことが逆に注目されています。

瞑想が流行ってるのもまさにそれ。

プリントされたチェキは、昨今のミラーレスカメラのように

高精細で美しい写真ではなく、

むしろ情報が削ぎ落とされた粗い写真。

なので、その時の思い出を無意識に脳で補完しようとする。

 

 

そして余白には手書きのメッセージを書き加えらるのも

チェキの良いところ。

 

結婚式では今でもチェキは大人気。

手書きの文字はずっと思い出として残る。

スマホのデータは思い出というより“記録”を残すという側面が強いが

チェキは思い出を残すことができる。

 

 

そういえば、子どもの頃に両親が

自分の写真をたくさん撮って何冊もアルバムにしてくれた。

写真1枚1枚には手書きのキャプション添えてくれていました。

撮られた僕の記憶はないけれど、その写真とキャプションを

読みながらいろいろ想像したものです。

 

 

デジタル全盛だからこそ

アナログのチェキが注目される理由がここにありました。

チェキに限らず、これは他の商品・サービスにも言えることかも知れません。

 

 

 

2025年 お正月

年末年始は実家の新潟へ帰っていた。

新潟の冬の厳しさが堪える。

歳をとるということはこういうことなんだろうか。

甥っ子姪っ子はそれぞれの世界を持っていて、みんな性格が違う。

自分が子どもの頃はどうだったんだろう?

 

去年は妹の旦那が亡くなり

妻のお母さんが亡くなった。

身近な人が亡くなるというのは何か変なものだ。

寂しさももちろんあるが「生きる」ことについて考えてしまう。

 

祖母は93歳。

年相応に物忘れがあるが腰も曲がっておらず、

きちんと歩くし、耳も良い。

一緒に護国神社まで初詣に行った。

 

90年も“生きる”ってどういう感じなんだろう?

祖母はどんな人生だったんだろう?

戦争で兄を亡くし、戦後の厳しい時代をアルバイトを

たくさんして過ごしたそうだ。

縁談があり、嫁に来て、そしてすぐに旦那が亡くなった。

35歳で膵臓癌だったそう。

僕が生まれる前のことで、僕は祖父の顔は見たことがない。

未亡人になって、2人の娘を育てながら

酒屋を1人で切り盛りしないとで必死だったそうだ。

楽しいことなんて何一つできなかったと言っていた。

 

自分のことより周りの人のことを優先して

いつも人に何かしてあげている。

それが曽孫たちはウザいのか文句を言う。

世代が違うと常識も違う。

ましてや、妹の子どもたちはシンガポールで育った。

日本の文化風習をあまり知らない。

葛藤はあるが一旦、今回は言わないことにした。

 

ただ感謝の心は大切だと改めて思った。

自分が子どもの頃も親にそこまで感謝は感じてなかったと思う。

感謝を感じることができる人に育ってほしい。