哲学と認識革命 / VUCA時代を生き抜く知恵

認識技術・nTechを活用した「本質的な生き方」について語っています

nTechと出会うまでPart.1〜幼少期から学生時代〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

今日は僕がなぜ、nTechと出会ったのか、

生い立ちから含めてお話ししてみたいと思います。

 

 

人はそれぞれ、誰もが自分の生き方のスタイルや判断基準、ポリシーを持っていますよね。普段は意識していなくても、それに基づいて生きています。

僕の今までの人生を振り返ってみて、タイトルを付けるとすれば

「力や権力に屈しないように戦い続ける物語」でした。

 

 

凄いですよね(笑)

戦い続ける人生って・・・。

 

 

 

僕が生まれた所は新潟県三条市という鍛冶職人の街です。職人の街だけあって、無口で頑固、上下関係に厳しい無骨な気質な街であったと思います。

 

そんな街で生まれた僕は、

小さい頃から何をやるにしても誰にも指図されたくないし、自由に自分のやりたいことをしたい、と思っていました。

 

 

この、小さい頃から何を行動指針にしていたかというのは後々の自分の人生に大きく影響を及ぼします。

 

みなさんも今の自分を観ていく時に

小さい頃の行動指針を振り返ってみると見えてくるものがありますよ。これを仕組みで細かく整理していくのがnTechで提供しているセッションです。

 

 

 

脱線したので話を戻しますね。

 

 

 

僕は子供の頃から、指図されたり、命令されるのが非常に苦手で、保育園でも、お腹が空いてないのにご飯の時間が来れば食べなければならなかったり、眠くないのにお昼寝させられたり、それが苦痛で本当嫌でした。

なんでそれぞれ考え方や感覚も違うのに全員同じように行動させられるのか!日々疑問でした。何度も保育園を脱走して連れ戻されていましたっけ(笑)

 

おまけにとても喧嘩の強いガキ大将いて、

殆どの子供達がそのガキ大将に従っていたんですが、力や権力で強制されるのが大嫌いな僕は、暴力には絶対に屈しない、勝てないとわかっていても従いたくないと思い、ガキ大将の支配には絶対に従いませんでした。

 

そのため、仲間外れや虐めによくあっており、

保育園の先生にはいつも助けを求めていました。

 

 

ある時、先生に助けを求めた時に、

先生が「いつも助けてばかりでもう知らない!一人で何とかしなさい!」って拒否されたんですね。

 

 

 

本当にあの時はショックでした。

 

 

 

今もあの時の先生の面倒臭そうな表情を思い出します。その一件依頼、先生に助けを求めなくなりました。

 

 

 

人の性格は0歳〜6歳に起こった出来事、体験した事で決まると言われています。

 

 

 

元々、目立ちたがり屋で自由に表現していた幼少期の自分でしたが、何か表現するたびに虐められるので、いつの間にか、自分を表現しないように、目立たないように変わって行きました。

 

 

 

小学校では、保育園の経験から、敵をつくらないよう、攻撃されないよう、否定されないように相手に合わせて会話をし、自分の本音はあまり言えず、そこそこの付き合いで、常に愛想笑いをしていました。そして絵が好きだったので絵ばかりに没頭していくようになります。

 

絵を描けば周りが一目置いてくれる。

そこでの成功体験から、人に負けない何か特技があれば人は自分を認めてくれるということ。人にとやかく言われず自由に生きていくためには人に負けない特技を持つことだと思うようになります。

 

 

高校に入っても、周りと壁をつくり、

得意だった絵を描くため美術部に入り、毎日、美術室にこもっていました。

絵を頑張って描くことは、自分にとって自由で安心安全な世界を築くことだったんだと思います。ただし、それによってリアルな人間関係は完全に切り離していました。非常にアンバランスで偏った青春時代だったと思います(笑)

 

Part.2へ続く