nTechと出会うまでPart.2〜大学時代〜
こんにちは!
AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を
提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。
nTechと出会うまでと題して、前回は幼少期から高校生までの僕の人生について書きました。
多感な時期に人付き合いを拒絶してきた僕は
コミュニケーションが苦手、人付き合いが面倒臭い、極力一人で居たいと常に思うようになっていました。その背景としては、何か自分が話せば攻撃されるとか、否定されるとか無意識にその思い込みが生まれてしまって、人と話すことをストップさせてしまうわけです。
なので極力、周りに合わせる、本当は心の中では全然違っていても、愛想笑いをして無難にやり過ごす。そんな得意技を使っていました。
そんな中でも、絵を描くことが唯一の楽しみだったので、得意な絵で将来は食べて行こうと漠然と思い、美術予備校に通いながら芸大受験を目指すわけです。
しかし、美大受験は狭き門、予備校に通わないととても現役合格は難しい。
親にお願いして、田舎から都内の美術予備校の冬季講習に通うことになったのですが、田舎で絵が上手だった自分も都会の学生の技術の高さに愕然とするわけです。
田舎の美術部でセコセコ描いていた自分にはレベルの差が歴然で挫折感を味わいました。まさに井の中の蛙状態(笑)
結局、現役合格はできずに浪人することになります。
そして、1浪目でさらに試練がやって来ます。
ある時、朝ご飯を食べていたら右顔面に激痛が走ったのです。
初めは何が起こったのかわからず、気をつけながら食べていましたが、日を追うごとに痛みの頻度が増してきて食べることもできなくなりました。
病院を転々としましたが原因がわからずにいましたが、日大大学病院で脳のMRIを撮影した時に小脳に腫瘍が見つかり、それが原因の三叉神経痛という症状が起きていることがわかりました。
この三叉神経痛ですが痛みの質としては、
表現が難しいのですが、刃物で焼き斬られるような、激痛と熱さでのたうち回る感じなのです。人生でこれほどの痛みに出会ったことはなかったので、当時は相当に辛くて、絵を描くどころではありませんでした。
そのうち、風が顔に触れたり、光を見ただけで発作が始まるようになり、痛み止めを飲みながら、昼間なのに部屋を真っ暗にして籠る日々が続きました。
病院の先生からも手術を勧められましたが、その時の医療技術では、頭蓋骨を輪切りにして開頭手術という大掛かりなもので成功率は60%くらい、失敗したら右耳が聴こえなくなるというものでした。
結局、手術を一旦決断したのですが、手術当日にやはり断り、実家の新潟に戻って療養することにしました。
そんなこんなで1浪目は受験どころではなく、最悪の年でした。
予備校の仲の良かった友達はみんな志望校に合格したと連絡が来て、なんで自分だけがこんな目に会うんだろうと天を呪いました。
あの時は人生で一番辛かったと思います(涙)
実家では長岡式酵素玄米や無農薬の野菜や自然食による食事療法をしながら絵を描いていましたが田舎で独学でやるのも限界があり、3浪目の受験もダメでした。こうなったら受かるまで意地ですよね。とにかく受かるまでやってやるとその時は思っていました。
本当、この時は両親に心配と迷惑をたくさんかけました。。
両親には今でも頭が上がりません。
結局、4浪もしてなんとか愛知の芸大に入ることになりました。
なんとか、大学に入学してホッとしたのも束の間、大学へ入ってもいろいろ葛藤はあったのです。
Part.3に続きます。