哲学と認識革命 / VUCA時代を生き抜く知恵

認識技術・nTechを活用した「本質的な生き方」について語っています

nTechと出会うまでPart.3〜大学時代から社会人へ〜

こんにちは!

AI時代の「新しいパートナーシップ」「新しいライフスタイル」を

提案している"自由自在に生きる"コンサルタントの"りょーま"です。

 

nTechと出会うまでと題して、前回は大学時代について書きました。

samurai-japan.hatenablog.com

 

前回の続きです。

 

僕は絵を描くのが好きで芸大に入学しました。

人付き合いが苦手だった僕にとっては絵を描く行為はコミュニケーションの手段、アウトプットの手段でした。何の制約もなく、自由に表現できることがこんなにも素晴らしいことなのか。人とのコミュニケーションもこんなに自由だったら良いのに(笑)

 

でも実際に大学ではそのようにはいかなかったんですね。

 

日本画の世界は良くも悪くも師匠と弟子の師弟関係の絆が強く

師匠の所属している画壇グループに同じように所属するのが出世の早道と言われています。同期の多くの友人も教授の言う通りの絵を描いて、言う通りに展覧会に出品していました。正直、みんな似たような絵を描くわけですね。それが疑問で、自由に表現したくて芸大に入ったのに実際は自由には描けなかったのです。

 

答えを見い出すために大学院まで進み、絵についてもう一度向き合い直そうと思いましたが、結局、大学にいては自由は無いと判断し、教授の所属する画壇には入らずに一人で絵を描くことにします。

 

しかし、日本社会では絵を描いて生活していくことがなかなか難しい。

今まで好きで描いてきた絵が、社会に出たら認められずにやりがいを見出すことが出来なくて、悶々とした日々を過ごすことになります。

 

自分の天職は何だろう?

自分は一体、何のために生きているんだろう?

答えの出ない問いをひたすらグルグル考えていました。

 

そんな時にたまたま、友人から映像制作の仕事の紹介がありやってみることに。

4浪して大学院まで行っていたので新卒で27歳という年齢(笑)

何せ日本画という畑違いのアナログ人間だったので映像については全くの素人。

直属の上司は中国人の劉さん。劉さんや、映像系専門学校を卒業したばかりの自分より遥かに若い子達から映像制作業務を手取り足取り教えてもらいました。

その時は新しいことを学べることに日々ワクワク楽しみながら仕事をしていました。

 

その後、転職したりで映像の仕事をトータルで10年近くやりました。

映像はその時の流行り廃りがあります。そのほとんどが欧米のトレンドを日本へ持って来たものです。欧米のコピーが本当のクリエイティブなんだろうか?

もっと日本の良さ、日本独自の良さがあるし、それを活かすことができないだろうかと思います。

 

自分は一体、何のために生きているんだろう?

 

 

そして、サラリーマンの多くが自分の本当にやりたいことをしているわけではない。多くの人が生活のために働いている。お金のために、生活のために生きることよりも、もっと自分らしく思い切り生きてみたい。

 

そう言いながら、自分もお金を稼ぐために働いている。

やるせない気持ちをどこでぶつけられるわけでもなく社会に操られるように生きている自分。

 

自分は一体、何のために生きているんだろう?

ずっとずっと探し求めていました。

本当に自分の魂を燃やせるところ。

これだと!言えるものに出会うことを。

思い切り、情熱を傾けられるものを。

 

 

そんな中、ある時、たまたま行った新大久保の路上でnTechのイベントのフライヤーをもらいました。それを読みながら歩いていたんですが、そこには「日本から革命を!JAPAN MISSION PROJECT」と書かれていました。その「日本から革命を!」のフレーズに興味を持ち、道を引き返して、配っていた女性にイベントの内容を詳しく聴きたいと伝えました。

 

それがnTechとの初めての出会いでした。

忘れもしない、2010年の1月のことでした。

 

 Part.4に続く