何のために生きてるか知りたかった自分
こんにちは!りょーまです。
"Live their true life."
自分の本当の人生を生きるとは?
"自分の無意識に繰り返しているパターンを意識化させ、それをリセットする仕組みを知ること。感情も考えも統制できる自分になること。
それができて初めて、自分の心から沸き起こる、本当の自分の人生を生きることができます。
僕は子どもの時から本質的な答えを知りたい子だった。
自分がなぜこの世に生まれて来たんだろう?とか、自分の生まれた理由は何なんだろう?とか。
それに対して納得いく答えをくれた大人は一人もいなかった。
そして、学校の勉強も疑問だらけだった。
国語で漢字を学ぶ。
漢字の書き順を学ぶ。
なんでこの漢字でこの書き順なのか?
違ったらダメなのか?
数学で1+1=2を学ぶ。
これは人生にどんな意味があるのか?
九九は何を意味するの?
全てが疑問だらけでした。
学校では僕の疑問に対する答えは貰えずにただ良い点数を取ることが正しいとされ、丸暗記させる学習しかやらない。
答えを学ぶだけの教育が気持ち悪かった。
何故そうなのか?
何のためのものなのか?
それが知りたかった。
前提が知りたいし、僕は前提を疑う性格なんです。
だからよく他人には否定的と言われたりするんだけど、否定というか、疑問なんですよね。
深くまで知りたいの。
美術の時間が好きだったのは、絵の世界、アートの世界は正解がないから。
解析が個人の自由だから。
それが本当に楽しかった。
正解を学ぶより、自分の正解を創っていくのが楽しい!
ただ、美術の授業は
描く時、作る時は楽しいんだけど、先生が勝手に点数付けるのは嫌だった。
というか、点数が高い時は嬉しいけど、点数が低い時は嫌だった(笑)
自由な世界に勝手に境界線が引かれるのが気持ち悪かった。
なんで勝手に点数付けるんだ!
お前に何がわかるんだ!
という気持ちだったと思います。
でも自分が美術教師になった時にその先生の気持ちもよくわかったけどね。
点数付けるのが今の学校教育であり、先生の仕事なんです。
生徒の可能性を決めつけて点数化してあげるのが今の学校教育の限界。。
今の義務教育には子どもの可能性を決めつけることしかできない!
可能性の枠を点数によって規定することしかできない。
芸大に入学してもそれは一緒。
全てがある一定の境界線の範囲の中で人間を規定する。
社会自体がそもそもその前提の上で成り立っている。
というか、今僕らが使ってる西洋の思考方式が範囲を規定して名前を付けていく思考方式だから。
僕がNoh Jesuさんと出会ったのは30歳過ぎてから。
彼に出会って、僕が子どもの頃から抱いていた疑問の答えに出会うことができた。
そしてその人間を小さな枠にはめて、お前はこういう人間だ!と決めつける、
今の社会の構造的限界を変えていける希望にも出会った。
教育は可能性だ。
可能性を広げるには社会の枠組みを変えるしかない。
社会を変えるには個人個人の認識の変化しかない。
社会の構成員の個人個人の意識レベル、認識レベルが上がれば社会も変わっていく。
”認識が世界を変える”