台湾の歴史から見る日本の和の精神
こんにちは!りょーまです。
"I live by my true self."
自分の人生を自分らしく思い切り生ききるためには?
"自分の無意識エンジンをセッティングし直す"ことで
今までの自分の繰り返してしまうパターンから脱皮して、全く新しい生き方ができるようになります。
先日、生まれて初めて台湾に行ってきました。
日本人の私たちは教科書ではあまり台湾については学びませんが実は台湾はかつては日本に属していました。正確には日清戦争後の下関条約締結後の1895年から、日本が第二次世界大戦で敗北する1945年の50年間、大日本帝国として存在していました。
当時の高校野球で台湾の嘉義市に実在した、嘉義農林学校が日本の甲子園にも出場したこともあり、まさに日本と台湾はかつては同じ国だったのです。この話はと言う映画にもなっています。
日本が当時の清を1894年の日清戦争で破り、1895年の下関条約によって、
日本が正式に台湾を領土として接収すると、台湾のインフラを整え、当時、台湾に住んでいた原住民達(16部族ほどいたと言われる)と関係性をつくりつつ、言葉や日本の文化慣習を教え、そして医師や弁護士などきちんとした職業に就かせるという地道な教育を施していったと言われています。
<国立台湾歴史博物館>
特に当時の警察は大活躍だったようで
一般的な治安を整える警察がやる仕事の他、ネズミ退治、農業指導、医療など、とにかく大活躍で片手数珠の警察観音菩薩として祀られるくらいだったそうです。
西洋の植民地統治は、相手国を支配して奴隷のように自分たちの属国として扱うのに対して、日本の統治の仕方は西洋と全く違うものでした。
日本は相手の国のインフラ整備に始まり、その国民が自立できるように日本と同じ教育を浸透させていくという他の国に類を見ないほどの政策を施していました。
言葉の通じない原住民を、学者や弁護士にまで教育するということが並大抵のことではないのは普通に考えればわかります。
この粘り強い教育に日本の和の精神が表れているんだなぁと僕は感じました。
そこで、それまで50年間使われてきた日本語や日本の文化や慣習が全て無くされ、中国の言葉や文化を学ぶことを当時の台湾の人々は強制されました。
その後、1980年代に入り、ようやく台湾の民主化運動が本格的に進むようになりました。台湾に住んでいる人からすれば自分たちの根底にあるアイデンティティの問題が常にあったと思います。
私が台湾にいった時はちょうど統一地方選挙の真っ只中。
候補者がバイクやリアカーを率いて市内を暴走族のように派手に走り回る光景は日本の選挙戦が大人しく見えるほどでした。
かつて日本と深い関係にあった台湾。
今回、初めて台湾を訪れて、台湾の歴史を少なからず学んで、外から日本の可能性に触れることができました。
これからの世界を見ていく上でこのような先人の心に触れる深い学びが大切であり、アジアの国々がお互いに手を取り合って、アジア人だとか西洋人とかではなく、お互いに同じ人間として尊厳を守って助け合っていける社会を創って行きたいと思いました。
今日も読んでくださりありがとうございました。